お知らせ
一覧はこちらとある保因者の話(6話)
いよいよ、その日がやってきた。
叶人(私の弟)の通院日に合わせて、私は仕事を休み、一緒に病院へ向かった。
何度も来たことがあるはずの病院。
子どもの頃は退屈でしかなかった待合室も、今日はまったく違って見えた。
受付を済ませ、椅子に腰を下ろす。
少し離れたところには、小さな男の子と、そのお母さんが座っていた。
男の子はお気に入りなのだろうか、小さな恐竜のおもちゃを握りしめている。
その姿を見ていると、自然と昔の自分と母のことを思い出した。
私も、あんなふうに母に連れられて何度もここへ来ていた。
ただ違うのは、今日は私が”付き添う側”だということだった。
……高校生にもなった叶人の診察に、姉まで一緒について来るなんて変に思われないかな。
そんなことを考えている自分に苦笑する。
たぶん誰もそんなこと気にしていない。
でも、それくらい私は緊張していた。
「山本叶人さん。」
弟の名前が呼ばれた。
「行こう。」
弟はいつも通り立ち上がる。
私は深呼吸を一つして、その後ろについて診察室へ入った。
ドアを開けると、主治医の先生がすぐに私に気づいた。
「今日はお姉さんも来たんだね。」
先生は笑顔でそう言った。
先生のその一言で、不思議なくらい肩の力が抜けた。
診察はいつも通り進んだ。
最近の体調。
出血の有無。
学校を卒業してからの生活。
仕事のこと。
先生は弟の話を丁寧に聞きながら、電子カルテに書き込んでいく。
「うん、調子も良さそうだね。じゃあ今回も今まで通りの処方で大丈夫そうだね。」
診察は数分で終わった。
すると先生は電子カルテを閉じ、今度は私の方へ体を向けた。
「今日は、お姉さんがわざわざ一緒に来たってことは、何か理由があるのかな?」
その瞬間、心臓が大きく鳴った。
ここまで来たのに、言葉が出てこない。
弟が私の方をちらっと見ている。
大丈夫。
話すために来たんだから。
私は意を決して口を開いた。
「あの……実は、今度結婚することになりまして……。」
先生は静かにうなずいた。
「彼に血友病のことを話したいんです。でも、どう話せばいいのかわからなくて……。」
最後の方は、自分でも驚くくらい小さな声になっていた。
先生は少し微笑みながら言った。
「なるほど。」
「結婚する前に、きちんと彼に伝えておきたいんだね。」
私は何度も頷いた。
「彼は叶人君とは会ったことがあるの?」
「はい。」
私は少し笑って答えた。
「私より弟とゲームをして遊んでいる時間の方が長いくらいです。」
先生も弟も笑った。
「それなら、まずは基本的なところから一緒に整理していこう。」
先生は本棚から何冊か冊子を取り出し、机の上に並べた。
血友病とはどんな病気なのか。
出血した場合の止血の仕組み。
治療方法。
現在は自己注射によって日常生活を送りながら生活している患者さんが多いこと。
弟と一緒に育ってきた私は、その説明を自然と理解することができた。
もちろん知らなかったこともあったけれど、大きく驚く内容ではなかった。
でも、私が本当に知りたかったのは、その先だった。
遺伝。
保因者。
先生は一枚の図を見せながら説明を続けた。
「保因者には、大きく分けて『確定保因者』と『推定保因者』があります。」
先生は指で資料を示しながら話してくれた。
「例えば、血友病の患者さんのお嬢さん。」
「あるいは、二人以上の血友病のお子さんを出産された女性。」
「または、一人の血友病のお子さんを出産していて、さらに家系にも血友病患者さんがいる女性。」
「このような場合は『確定保因者』と考えられます。」
私は頭の中で必死に整理していた。
じゃあ……
母は?
弟は血友病だけれど、親戚には今まで血友病の人はいない。
ということは……
母は「推定保因者」ということになるのかな。
じゃあ私は……?
母が確定保因者ではないなら……
私は保因者ではない?
いや、違う。
そんな単純な話じゃない気がする。
頭の中で考えがぐるぐる回り始めた。
そんな私の表情を見て、先生は優しく声をかけた。
「お姉さん。」
私はハッとして顔を上げた。
先生は穏やかな表情のまま尋ねた。
「お姉さんは、自分が保因者かどうかを知りたいのかな?」
少し間を置いて、先生は続けた。
「それとも……彼にどう伝えればいいかを知りたいのかな?」
その質問に、私は言葉を失った。
その二つは、同じようでいて、まったく違う問いだった。
私は今まで、自分でも気づかないうちに、その二つを一緒にして考えていたのかもしれない。
でも、本当に私が知りたいことは――。
答えようとしても、すぐには言葉が出てこなかった。