血友病とは?
一覧はこちら血友病のお子さんを育ててきた経験から伝えたいこと
血友病について学び、未来の診療を一緒に考える情報サイト「みんなで考える血友病診療ネット」を運営する社会福祉法人はばたき福祉事業団です。
今回は血友病の息子さんを持つ小島さんにインタビューし、子育ての中で感じた疑問や日々の葛藤などについて話していただきました。
血友病保因者である小島さんは、ご自身の生い立ちにおいても周囲の理解を得られず苦労されたことがあるそう。そしてまさに今も、血友病の息子さんを地方都市で育てることの大変さに直面しています。小島さんの経験が広くシェアされ、血友病のお子さんを育てる環境が少しでも改善されるきっかけになれば嬉しいことです。
血友病に対する理解不足が招いた悲劇。長男の発熱が思いがけぬ方向に。
―小島さんには3人お子さんがいらっしゃるそうですが、年齢や性別について教えてください。
まず平成15年生まれの長女がいます。長女には顕著な出血傾向があるのですが、調べたところ保因者ではないという診断を受けています。
そして平成17年生まれの長男は、1歳の時に血友病Aという診断をもらっています。詳しくは後述しますが、乳児期の発熱時における医療機関での対応が長男の人生を大きく変えたと今でも思っています。
それから平成20年生まれの次男がいます。次男も乳児期には診断により最初は血友病Bと言われていたのですが、成長につれて診断が変わり今では血友病ではないと言われています。というのも、どうやら出生時の第IX(9)因子活性値は大人の半分くらいしかないらしく、正しい診断にはならないとのこと。次男もきっと成長につれて第IX(9)因子活性値が増えてきたのかもしれません。
このように性別も症状もバラバラな3人なので、育てる中での苦労は多々ありました。
―前回のインタビューでもお話していただいたことですが、息子さん(長男)が高熱を出した際に大変な目に遭ったのだとか。
息子は9月生まれですが、その年の年末に40度くらいの熱が出て慌てて市内の大きな病院に行きました。しかし、病院側の対応は「男の子は熱を出すもんだよ」といったもので相手にされず、その後も数件の医療機関を回ったのですが、様々な理由で追い返され受診には至りませんでした。
しかし、症状は一向に回復しないので必死に医療機関を探し、症状が出てから実に4日目に診てもらえることになりました。しかし、時すでに遅しです。
息子はくも膜下出血と髄膜炎を起こしていました。最悪の事態は逃れることができましたが、それから実に1年間の入院生活となりました。
—その時の病院側の対応の遅れにより、息子さんは後遺症を負ったわけですよね。
入院時に「将来的には運動機能麻痺によって歩けなくなるかもしれない」と言われました。しかし、幸い運動機能に関してはそこまでの障害は残らなかったのですが、脳の方に障害が残ってしまいました。
これは最近になってわかったことですが、息子は右側の海馬が欠損しているのです。海馬とは記憶をつかさどる脳の部位なので息子の記憶力は著しく低く、それによって学校生活をまともに送ることができませんでした。海馬の欠損が明らかになったはつい最近のことなので、これまでの学校生活ではただ単に記憶力の悪い子どもとして扱われていました。
また、息子はてんかん持ちでもあります。てんかんの原因も様々なので、乳児期の高熱が関係しているかどうかはわかりませんが、もしこの時の対応の遅れが原因だとしたら、親としても悔やんでも悔やみきれないものがありますね。
学校生活を通常学級で送った長男。当たり前のことが当たり前にできない苦労
―息子さんは血友病を抱えながら、一方で脳の障害もあり、日常生活や学校生活も大変だったのではないでしょうか。
まず、血友病ということでは、学校側のサポート体制がなかったのが辛かったです。何しろ学校側に血友病に対する知識も情報もないので、もし何かあったら責任を取れないというのです。そこで親である自分がすぐに駆けつけることができるように、毎日私が一緒に登校していました。何もせずに待っているものなんなので毎日校庭で草むしりをしていましたね。今思うと信じられないような話ですが、学校からはそこまでの対応が求められました。
しかし、血友病であることは障害とはみなされず、先ほど申し上げた海馬の欠損についてもこの時にはわかっていなかったので、息子は通常学級に通っていました。しかし記憶力が著しく低いのでノートを写すことができず、成績もひどいものでした。
このように息子は学校生活において、おそらくものすごいストレスを抱えていたと思います。血友病であることによる肉体的な苦労よりも、精神的な苦労の方が大きかったのではないでしょうか。
関節を鍛えるために水泳は1歳から
―息子さんには1歳から水泳をやらせていたそうですね。それは血友病と関係しているのでしょうか?
はい。血友病であることによって関節に内出血が起こり、関節障害を負うこともありますよね。その対策として関節を鍛えようと早い時期から水泳をやらせていました。おかげで息子は関節障害に悩まされたことはないのですが、水泳では筋肉を鍛えることができないらしく筋層内出血という症状をよく起こしていました。
筋層内出血は外からはわからないので、痛くなったら本人が自己申告をするしかありません。しかし息子は我慢してしまう性格なので、幼少期は太ももがパンパンになるくらいまで我慢してしまい、結果車椅子に1ヶ月乗るようなことも多々ありました。小学校に上がってからは自分から言えるようになったので、車椅子に乗るほど悪化するようなことはさすがになくなりましたね。
通信制の高校へ。週3回の登校で先生たちと交流
―その後息子さんはどのような進路を辿ったのでしょうか。
先ほども申し上げましたが、息子には海馬の欠損による記憶障害があるので、勉強はからきしできません。しかし通常学級に通っていたので皆と同じように高校受験をして、当然のように全部の高校に落ちました。
しかし、さすがに中卒というわけにもいかないので、県立の通信制高校に入学することにして、どうにか高校生活をスタートすることができました。
通信制高校というのは、通常であれば年に数回のスクーリングがあるものの、基本的には家で勉強をするものですよね。しかし、息子の場合は何しろノートを取ることができないくらいの記憶障害があるので、特別に週に3回リアルに学校に通って先生からの直接指導を受けていました。この時間は息子にとって本当に楽しい時間だったようで、先生たちとも仲良くなり、また親友とも言える友達もできて通信制とはいえ高校生活は豊かなものになりました。
―通信制高校でも水泳は続けたのでしょうか?
続けるつもりでいたのですが、なんと通信制高校の大会には水泳がなかったのです。そこで全日制高校の大会、いわゆるインターハイに出るために自費で選手登録をして、個人として大会に出ていました。そうしたら見事に次々と良い結果を残したので、翌年からは学校からの全面的なサポートを受けて大会に出るようになりました。
しかし学校の立地が強豪の多い南部地区だったこともあり、地区予選を通ることができなくなったり、たまたま挑戦した背泳ぎで肩が外れて内出血を起こしたりしたことをきっかけにスパッと水泳をやめてしまったのです。
「僕には何もない」、水泳をやめてから自己肯定力が低下
―幼少期から続けていた水泳をやめたことは、息子さんにとっても喪失感が大きいですよね。
息子にとって水泳はアイデンティティーの1つでもあったので、それをやめたことによって精神のバランスが崩れたと言っても過言ではないと思っています。
水泳をやめた直後は、お友達に誘われてバドミントン部に混ぜてもらっていました。しかしバドミントンの動きはしゃがむことが多いので、すぐに膝と足首に関節出血を起こしてしまい続けることができませんでした。そして「自分には何もない」と、すっかり自己肯定力がなくなってしまったのです。
精神の不安定さが原因かどうかわからないのですが、この頃からてんかんの発作も増えました。息子の精神状態は悪化の一途をたどり、常軌を逸した言動も増えてきたので病院へ行って診療も受けたのですが、その薬の副作用でまた精神状態がひどくなりました。そんなこんなで今でも息子は自分自身と葛藤しています。
息子の葛藤と母の葛藤。それぞれの道を模索中
―今でも息子さんは不安定な状態が続いているのですか?
はい。息子は昨年から学校にも行かなくなってしまったので、卒業が遅れることになります。息子はこれまで通常学級に通って、水泳の大会も健常者として出ていたわけですが、もっと早い段階で海馬の欠損がわかっていれば別の人生があったのかなって思います。脳の障害であれば養育手帳がもらえたので、パラリンピックに出ることができたかもしれません。息子の人生を思うと、これまで母として正しい選択をしてきたのかと今でも自問しています。
しかし、そんな中でも息子はなんとか自分の活路を見つけようと、新たなチャレンジもしています。それは何かというと、息子はモデルの道を志すようになりまして、レッスンを受けたりオーディションを受けたりしています。息子は水泳を長い間続けていたこともあって、体型がきれいなのです。今の時代、顔はいくらでも加工できるらしく、大切なのは骨格らしいので、某事務所からは「逸材だ!」絶賛されました。しかし、肝心な場面で遅刻してしまったり、レッスンへ通う途中でてんかんの発作を起こしてしまったりと、前途多難ではありますがそれでも何かに挑戦するのはいいことだと思い、私も応援しています。
血友病の子どもを持つ親同士が“リアルに”交流できる場が必要
―息子さんは血友病であるだけではなく、さらに脳の障害も抱えていらっしゃるので、お母様として苦労は相当なものだったと思います。どのようにして今まで乗り越えてきましたか?
血友病の患者会や血友病の子どもを持つ親に向けたコミュニティーなどがいくつかあるので、それらに参加して交流したこともあります。ただ、今まで参加した集まりがいずれも情報共有の場というよりレクリエーションに近いものだったので、その後も継続的に参加するようなことはなくなりました。
他には製薬会社が主催している海外視察にも参加したことがありますし、血友病に対する理解を深めるために世界血友病連盟(WFH)が主催する世界大会にも家族で足を運びました。このように個人的に知見を広げていくことはやっているのですが、自分のこれまでの経験をシェアする必要性も感じているので、血友病のお子さんを持つ親同士がもっと積極的に交流してそれぞれの経験を伝え合う場があればいいなと思っています。東京をはじめとして主要都市にはきっとあるのでしょうけど、地方都市に住んでいると参加することが難しいので、できればそのような場が全国に広がっていけばいいですね。
私自身、息子の子育てを通じて経験的にわかったことがたくさんあるので、血友病のお子さんを持つ若い世代の親御さんにも伝えていきたいですね。今はオンラインで繋がることができますが、血友病の話はデリケートな部分も多いので、できれば会って顔を見ながら話したいですね。
私と息子に関しては、それこそ本を一冊出せるくらいにこれまでさまざまなことがありましたが、決してそれらを悲観しているわけではありません。
息子は今でこそ迷いや葛藤の渦中にいますが、いつか必ず納得のいく道を見つけることができると信じています。
私も希望を持ってこれからも息子と向かい合い、そしてなんらかの困難を抱えたお子さんを持つ親御さんたちに自分達の経験を広く伝えていきたいと思っています。