血友病とは?
一覧はこちら出血傾向を持つ保因者の苦労や葛藤についてインタビューをしました
血友病について学び、未来の診療を一緒に考える情報サイト「みんなで考える血友病診療ネット」を運営する社会福祉法人はばたき福祉事業団です。
血友病の保因者女性の症状には個人差がありますが、特に出血傾向に悩んでいる方は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は保因者で出血傾向にある小島さん(仮名)にインタビューし、保因者女性としての苦労や葛藤、お子様を育てる中で感じた疑問などについて率直にお話していただきました。
小島さんのお話を通じて、保因者女性を取り巻く現状や課題について考えるきっかけになればと思います。
生理の話題がタブーの時代。人知れず悩んでいた10代のころ
—小島さんがご自身の出血傾向を知ったのはいつごろですか?
思春期になって初潮を迎えて以来、ずっと月経過多に悩まされていました。今思うと経血量はかなり多かったと思うのですが、当時は生理についての話を誰かとするような風潮ではなかったので、量については誰とも比較することができず何とか自分で対処していました。ですから保因者としての出血傾向としてではなく、月経時の経血量の多さという意味では10代の前半から出血傾向は自覚していたということになります。
私は50歳を過ぎていますが当時はナプキンの種類も少なく、おそらく夜用や長時間用というものがなかったと思います。私の場合は多い日は2〜3枚重ねにしたり、1時間ごとに交換したりしていましたが、特に夜間は漏れてしまうことを考えると眠ることもできず、一晩中起きているようなことが日常でした。
月経の日数も通常であれば1週間程度だと思うのですが、私の場合は3週間ほどあったので、出血していることがもはや日常でした。いつも貧血気味で気分が悪かったですし、夜も眠れないので睡眠不足にもなり、とにかく毎日が大変でした。
自費でホルモン治療。経血量は減ったが、延々と続く出費が負担
—日常生活に支障をきたすほどの出血傾向であれば、医療機関などに行って受診されることも考えましたか?
はい。学生時代は自分でなんとか対処していましたが、社会人になってさすがに仕事にも影響が出ると思い、ホルモン剤治療をするようになりました。
それによって月経の期間が短くなったのは良かったのですが、自費治療なので通えば通うほどお金がかかります。かといって治療をやめればまた元に戻ってしまうので、経済的な負担こそありましたがしばらくはホルモン剤治療を続けました。出産するまで続けたので、けっこうな出費にはなったと思います。
出血傾向は娘にも遺伝しまして、今も娘はかつての私と同じように苦しんでいます。やはりホルモン剤で治療をしていますが、お金がかかるだけではなくホルモン剤の副作用で太ってしまうので、その点も含めて本人は辛い思いをしているのではないでしょうか。
—出血傾向については自覚されていた一方で、血友病のこと、そしてご自身が保因者であるという可能性についてはまだ考えたこともなかったのでしょうか?
はい。血友病という病気のことを知ったのは、さらにずっと後になります。
私の母は私と同じように月経時の苦しみは相当あったようです。そして母が苦しんでいる様子を子どもの頃から間近に見ていたので、自分の出血傾向は親譲りのものだと思っていました。そもそも母も血友病という言葉も知らないような人だったので、母から私に血友病について話すということはまずないですよね。
しかし、出血傾向以外にも不思議に思うところはありまして、それはぶつけた時にあざがいつまでも消えないことです。それどころか授業中に肘をついているだけでもあざができるので、「これは決して普通ではないな」とうすうす気付いていました。
出産時の病院対応に疑問。地方都市ゆえの医療格差を痛感
—その後、小島さんは結婚や出産を迎えられるわけですが、その時も血友病についての詳しい情報や、ご自身が保因者であるという可能性を知らなかったということでしょうか。
私は福島出身なのですが、お医者さんすら血友病を知らないというような現実がありました。
私には子どもが3人おりまして、第一子である娘は平成15年に出産しましたが、娘を産むときは、当然自分が保因者であるという自覚もないので、病院としても知るすべもなく何も対策していなかったと思います。しかし出産時には1,500mlもの出血があったそうで、かなり危ない状態だったようです。通常であれば多くても500ml以内なので尋常ではないですよね。そんなわけで今思うと命からがらの出産でした。
―出産時の出血量の多さから、その後やはり何らかの検査は受けられたのですか?
出産時の出血の多かったことからさすがにこれは何かあると思い、病院に行って検査を受けました。その結果、血小板の形に問題があるから血が止まらないという診断で、この時は血友病ではないと言われました。ですから、検査まで受けたものの自分が保因者であるということは、この時もまだ知ることができませんでしたね。
息子の発熱、病院でまさかの「息をしていません」
—その後、第二子である息子さんの出産はどのようなものでしたか?
息子は娘が生まれた2年後の平成17年に出産しています。9月に生まれたのですが、その年の年末に40度くらいの熱が出て慌てて市内の大きな病院に行きました。しかし、病院側は「男の子は熱を出すもんだよ」といった対応で、相手にされませんでした。しかし、一向に熱が下がらないので、今度は近所の小さな病院に行きました。そうしたら今度は「咳もしていないのに、こんなところに連れてきたら他の子の風邪がうつってしまうよ」とのことで、再び相手にされず帰されてしまいました。
ここまでくると藁にもすがる思いで、とにかくまともに取り合ってくれる病院はないかと必死に探し、比較的空いていそうな小さな病院に行きました。そうしたら、お医者さんは息子の症状が尋常じゃないと思ったのか「すぐに設備の整った大きな病院に行きなさい! ただし、今行ったら混んでいるので夕方にしなさい」と言うのです。この時すでに発熱から4日も立っているのにまた先延ばしですよ。
夕方になり、今度こそちゃんと診てもらおうと思って病院にいきましたが、いよいよ診察となって看護師の方が息子を抱きかかえるや否や、「息子さん、息をしていませんよ」と言うのです。「え?」と思ったのも束の間、すぐに息子はICU(集中治療室)に入れられました。
—息子さんがお生まれになった平成17年では、血友病という病気の理解もそこそこに広まっていると思うですが。
そう思いますよね。しかし、地方都市の医療機関ではまだまだ周知されてなかったのではないでしょうか。この時の病院の対応の遅れにより、その後息子の人生が変わったと言っても過言ではありません。
息子は4件目の病院でようやく診察を受けることができたのですが、この時すでにくも膜下出血と髄膜炎を起こしていました。最悪の事態は逃れることができましたが、それから実に1年間の入院生活です。私自身も病院に泊まっての看病なので心身ともに疲弊しましたが、それ以上に2歳の娘の方が辛かったと思います。
—まだ甘えたい盛りで、母親と一緒に生活ができないのは辛いですよね。
そうなんです。娘も「どうして私がこんな目に合わないといけないのか?」という葛藤があったと思います。娘にとっても1年間は試練だったのではないでしょうか。
いよいよ息子の血友病を知ることに
—息子さんは入院期間中に血友病の検査を受けたのですか?
入院期間中に息子の検体を東京の病院に送って調べたところ、血友病であることがわかりました。
血友病については、たまたま私が読んだことのある少年漫画を通じて知っていたので、病名を知ったときは納得感がありました。漫画で知った症状がそのまま息子に当てはまったので、やはりそうかと思いましたね。息子が血友病であることがわかったところで、今度は娘が保因者であるかどうかも調べなくてはいけないなと思いました。将来娘が子どもを産んだときに、その子たちが血友病になる可能性を考えると娘も調べるべきですよね。
しかし、実際に娘が正式に検査を受けたのはしばらく後の話になります。娘が高校を卒業したころに無料で遺伝子の検査してくれる医療機関があったので、娘だけではなく私と息子も一緒に調べました。
検査結果がいつまでも出ないのでこちらから問い合わせたところ、どうやら息子と私の第八因子の崩れ具合が一緒だということがわかりました。これによって私自身も保因者であることがわかったのですが娘には異常が出なかったらしく、時間がかかっていた理由としては、娘もきっと保因者であると仮定して何度も検査をしていたというのです。そうなると、娘の出血傾向は保因者だからではないということになりますよね。結果は結果ですが、果たして本当に娘は保因者ではないのか、今も少しばかり疑問が残っています。
病気は個性。遺伝の病気をネガティブにとらえないでほしい
私は地方都市で生まれ育ったのですが、地元の医療機関が血友病に対する十分な知識があったとは思えません。血液の病気と言ったら白血病かエイズくらいしかないという認識で、「病気のことを口外したらお嫁に行けなくなる」と言われたこともあります。特に遺伝の病気の場合は、口外できるような雰囲気では全くなかったですね。
しかし、今は血友病に対する理解や捉え方も、少しずつですが変わってきているのではないでしょうか。血友病というのは病気ではありますが、私自身はそれを個性として考えています。人それぞれ顔形が違いますし、生まれながらにしてなんらかの欠損部位がある人もいます。血友病の場合はそれがたまたま第八因子の欠損というだけです。幸い今は治療も発達していますし、血友病であることで制限のある生活を送るようなことも減ってきました。
私自身も保因者であるとわかるまでは周囲に理解されず悩んだこともありますが、今は保因者という自覚のもと自分なりに病気との付き合い方を模索しています。2016年には血友病に対する理解を深めるために世界血友病連盟(WFH)が主催する世界大会にも足を運びました。その時に知ったのですが、欧米ではどうやら保因者女性でも、症状によっては血友病の患者という扱いになるらしいのです。日本でもそのような扱いになれば、保険治療もできますし、私や娘のように自費でホルモン治療をするようなこともなくなりますよね。時間がかかるかもしれないですが、少しずつでも保因者女性に対する制度やサポートが整うようになればいいと思っています。
保因者が生きやすい環境を整えるには、まずは関心をもってもらうこと
私は今でこそ保因者としての自覚のもと、自分の症状との適切な付き合い方をしていますが、かつては血友病や保因者に対する周囲の誤解や間違った理解によって生きづらさを感じていました。もちろんそこには自分の知識不足もありましたが、血友病という病気に対する理解がまだまだ社会に浸透していないと今でも感じることがあります。
かつて私が参加した世界血友病連盟の世界大会で知ったように、保因者の中にも顕著な出血傾向を持っている女性が一定数いるので、血友病患者だけではなく保因者に対しても社会のサポートが整ってくれたら嬉しいですよね。
まずは血友病という病気に対して関心を持ってもらうことが、血友病を取り巻く環境改善の第一歩ではないでしょうか。