血友病とは?
一覧はこちら僕は血友病ですが、なにか?
スニーカーの紐を結び直す。
玄関のドアを開ける前に、一度だけ深呼吸するのは、もう習慣みたいなものだ。
三十二歳。
平日は商社で働き、海外を飛び回る。
そして週末は、社会人サークルでテニスをしている。
どこにでもいる大人だと思う。
ただひとつ違うのは――
僕が血友病だということ。
でも、それだけだ。
僕が血友病だとわかった日
僕が血友病だと診断されたのは、幼稚園のころだった。
園庭の遊具から落ちて、膝を強く打った。
最初はただの怪我だと思っていたらしい。
でも、腫れがなかなか引かなかった。
内出血も思ったよりひどく、念のためと受けた検査で血友病Bだとわかった。
その後、凝固因子の活性を調べていく中で「軽症」だと診断された。
もちろん、僕はそのときの記憶はぼんやりとしかない。
あとから聞いた話では、母はかなりショックを受けたらしい。
転んだだけでこんなに腫れるなんて。
これからどうやって育てていけばいいんだろう。
今、自分が親になってみて、その気持ちはよくわかる。
でも、当の本人である僕はというと――
次の日にはまた走り回っていたらしい。
テニスを始めた日
小学校に上がってしばらくして、僕はテニスに出会った。
最初は、ただの遊びだった。
壁打ちをしたり、近所の公園でラケットを振ったり。
「ちゃんと習いたい」
そう言ったとき、母はやっぱり少し困った顔をした。
けれど父は、あのときと同じことを言った。
「やりたいなら、一回やってみればいい」
もちろん、無茶はしない。
主治医にも相談した。
僕の場合は軽症だったこともあり、
体の状態を見ながらであれば問題ないという判断だった。
それで僕は、テニスを始めた。
ボールを打つ感触が好きだった。
ラリーが続くと嬉しかった。
試合でポイントを取ると、思わず声が出た。
血友病だからやめておこう。
そう言われていたら、きっと僕はこの楽しさを知らなかった。
言わない強さ、言える強さ
小学生、中学生、高校生と、僕はずっとテニスを続けた。
もちろん、何もなかったわけではない。
膝に違和感がある日もあった。
少し強くぶつけて、ひやっとしたこともある。
でも、当時の僕はあまり周りに言わなかった。
「血友病だから無理しなくていいよ」
そう言われるのが、正直嫌だった。
特別扱いされるのも嫌だったし、
何より「できないやつ」と思われたくなかった。
今思えば、少し意地を張りすぎていたかもしれない。
でも、大人になった今は思う。
本当に大事なのは、隠すことじゃない。
自分の体を理解して、
必要なときにちゃんと調整できること。
無理をしない判断ができること。
それでもやりたいことを続けること。
僕は血友病と一緒に生きる中で、そのバランスを覚えていった。
妻に伝えた日のこと
妻とは高校の同級生だった。
高校時代から顔は知っていたが、付き合い始めたのは大学に入ってからだ。
僕が血友病であることを話したのは、付き合って間もないころだった。
「俺、血友病なんだ」
そう言って説明したとき、彼女は少し驚いた顔をした。
「え、そうだったの?」
でもすぐに、こう続けた。
「全然そんなふうに見えなかった」
それは、僕にとって少し嬉しい言葉だった。
僕は、遺伝の話もした。
将来、子どもに関係する可能性があることも。
彼女は少し考えてから言った。
「勇介は勇介でしょ。ちゃんと知って、ちゃんと準備すればいいじゃん」
その言葉に、救われた気がした。
商社マンとして、海外を飛び回る日々
今、僕は商社で働いている。
海外出張も多い。
初めて海外出張が決まったとき、母はやっぱり心配した。
「大丈夫なの?」
「ちゃんと準備してる?」
三十歳を過ぎても、母にとって僕は心配な存在らしい。
でも、僕自身はあまり不安ではなかった。
主治医に相談する。
必要なものを持っていく。
現地の医療体制を調べる。
それだけで、海外は“特別な場所”ではなくなる。
血友病だから海外に行けない。
血友病だから仕事が制限される。
僕は、そう感じたことはない。
もちろん個人差はある。
でも今の医療なら、“やり方”はいくらでもある。
父になって思うこと
僕には二歳の娘がいる。
娘は血友病ではない。
ただ、血友病保因者だ。
今はまだ何も知らずに、よく笑っている。
この子が大きくなって、自分の体のことを知る日が来る。
そのとき、もしかしたら悩むかもしれない。
でも僕は伝えたい。
血友病があっても、人生は狭くならない。
もし将来、この子に血友病の男の子が生まれたとしても――
きっとその子も、普通に走れる。
好きなことに夢中になれる。
僕がそうやって生きてきたから。
血友病は、人生の全部ではない
血友病は、僕の一部だ。
でも、全部じゃない。
僕はスポーツが好きだ。
仕事も好きだ。
海外の街を歩くのも好きだ。
家族と過ごす時間が好きだ。
血友病である前に、僕は僕だ。
「血友病だから何?」と笑えるように
玄関のドアを開ける。
ラケットバッグを肩にかけて、外に出る。
怖さがないわけじゃない。
でも、ちゃんと知っている。
どう向き合えばいいかを。
血友病だからできない、じゃない。
血友病と一緒に、どうやるか。
それだけだ。
僕は、血友病です。
でも――
僕は僕です。
そしてこれからも、きっとこう言う。
「血友病ですが、なにか?」