血友病とは?
一覧はこちら血友病であることを全く感じさせないほとアクティブな人がどう育ったのか
血友病患者と血友病保因者を支援する社会福祉法人はばたき福祉事業団です。
今回インタビューをしたのは、金融総合代理店の営業と野球選手という二足のわらじを履く血友病患者の松田さんです。特に野球選手としては世界身体障害者野球大会への出場を目指すほどの熱の入れよう。仕事にスポーツに全力投球、血友病であることを微塵も感じさせないほどアクティブな松田さんの生い立ちに迫ります!
抱っこされた際にできた“あざ”で、血友病だということが判明
ー今日は“超”アクティブな松田さんの生い立ちについてお伺いしたいと思います。まずはご出身と家族構成を教えてください。
静岡県の浜松市出身です。両親と兄が一人います。兄は血友病ではなく健常者です。
ーお兄様が健常者となると、弟の松田さんが血友病ということをご両親はどのようにして知ることになったのですか?
おそらく自分が生後8ヶ月くらいの時だったと思います。兄が風邪をひいて、自分は母に抱っこされながら一緒に病院に行ったのですが、その時にあざができたんですよね。抱っこをして触れている部分だと思うのですが、それだけであざができるのはおかしいから検査した方がいいと病院の先生から言われたみたいです。
ーそして検査の結果、血友病だということがわかったのですね。
はい。そういうことです。
ー男性である松田さんが血友病となると、お母様が保因者ということになりますが、お母様はご自身が保因者であると自覚されていたのでしょうか?
いえ、母も自分が保因者であることは知らなかったようで、検査して初めて知ったと言っていました。たまたま自分は兄と一緒に病院に行ったことから血友病であることがわかったわけですが、それがなかったらもう少し発見が遅れていたかもしれないですね。
野球漬けの学生生活。病気のことは言わずに皆と同じ練習メニューをこなす
ー血友病であることがわかり、幼少期から生活面でいろいろと気をつける部分もあったかと思います。あらためてどのような幼少期を過ごしましたか?
自分が小さかった頃のことが書かれた母の日記を読んだことがあるのですが、読む限りでは自分は典型的なわんぱく小僧って感じでしたね(笑)。母は自分の息子が血友病ということでそれなりに気を付けていたと思うのですが、自分はまだ小さかったこともありよくわかっていなかったみたいで、普通にスポーツをしたり駆け回ったりしていたみたいですよ。
ーでも、子どもってすぐに転んだりするじゃないですか。大丈夫だったんですか?
転んで内出血したり、走りすぎて腫れたりはしょっちゅうだったみたいですよ。しかし子どもなので楽しさの方が勝ってしまうんですよね。同じことを繰り返していました。
ー今でも続けていらっしゃる野球は、幼少期からやっていたのですか?
はい。幼稚園の年長から少年野球チームに入り、学生時代はずっと野球漬けでした。今思うとよく親は許したなって思います。
ー自己注射をしながらやっていたのですよね。
そうですね。小学校1年生までは定期的に病院に行って注射をしていましたが、1年生の終わりか2年生くらいの時からは自己注射になりました。
ー自己注射と言っても、お母様が打っていたのですよね。
いえ、自分で打っていました。自己注射に関しては、おそらく血友病患者の中では自分が一番早いのではないかと思っています。患者会か何かのサマーキャンプで自己注射を練習する機会がありまして、その時は怖くて痛くて泣いたりもしたのですが、家に帰ってからはできるようになりましたね。自分でもうできるという喜びの方が大きかったみたいで。
ー小1というのはびっくりです(笑)。野球はそれからもずっと続けたのですか?
はい。大学1年まで続けました。皆と同じ練習メニューで、かなりハードにやっていましたね。
ーご自身の病気に関しては、友人などには伝えていなかったのですか?
伝えなかったですね。特別扱いされることも練習を休むことも嫌でした。1日でも休むとレギュラーを外されてしまうのではないかと思い、年に1回どうしても平日に丸一日病院にいかなくてはならない日があるのですが、その時に学校を休むことが本当に辛かったですね。
野球に関しては走ったり球があたったりと、かなり体には負荷がかかっていたと思うのですが、痛いのには不思議と慣れてきますよね。精神力でカバーというか。痛いと言ったら、周りから「あいつ弱いな」って思われるじゃないですか。だから、痛さは表には出さなかったですね。
母は心配性。背中を押してくれたのは担当医と父だった
ー本格的な野球部に所属するなど、ハードに運動を続けることに関してご両親や病院の先生は心配したのでは。
はい、母は心配性なのでいつも心配していたと思います。自分がやりたいことに関して、手放しに何でもいいよというスタンスではなかったですね。しかし、父親や担当医の先生が「やりたいことは全部やらせよう」というスタンスだったので、何かをやろうとしてくれた時にはいつも自分の背中を押してくれました。
ー担当医の先生がそのようなスタンスというのは珍しいですね。
そうですよね。でもそのおかげで様々なことに挑戦できましたし、病気のせいでやりたいことがやれなかったという後悔もなく育つことができました。
ーとはいえ、そこまで制限がないと、怪我などをして大変な目にあったこともあったのでは?
ありましたね。一回だけ練習の時に球が当たって鼻の骨を折ったことがあります。でもそれくらいですね。それ以外は大きな怪我も出血もなかったと思います。
お付き合いする女性には最初からオープンに伝える
ー血友病であることを必要以上に周知せず、健常者と同じように運動も生活もされていたと思うのですが、女性とお付き合いするようになった時にはご自身の病気についてお伝えしましたか?
はい、やはり真剣にお付き合いするとなると将来的に結婚することをお互いに意識するので、比較的早い段階で伝えるようにしていました。お付き合いした方の中には、病気のことを受け入れるのが難しいという方もいましたが、それはそれで自分も「縁がなかったんだな」と思うようにしましたね。
ー今はご結婚もされて、お子さんもいらっしゃるとのこと。
はい。娘がおりまして、今1歳になります。娘なので確定保因者ということになりますね。
ー娘さんもこれからいろいろとやりたいことが出てくると思いますが、ご両親で教育方針などについてはお話しされていますか?
教育方針については、自分がなんでもやらせてもらっていたので、妻とも話してそのような考えでいます。とはいえ、保因者でも出血傾向など個人差があると思うので、担当医との相談になると思いますが、基本的には運動であれ文化的なことであれ、やりたいことはやらせてあげようと思っています。
仕事を通じて、血友病患者のサポートをしたい
ー松田さんの今のお仕事は、金融総合代理店で保険や金融商品の営業をされているとのことですが、お仕事を通じて血友病患者のサポートをされているとお聞きしました。
はい。血友病患者の方に保険商品の案内をしています。というのも、血友病であることによって加入できる保険は限られ、さらに加入の際の条件や保険料などが健常者とでは大きく異なる場合もあるからです。ただでさえ保険のシステムは複雑なので、このような条件があると知ると中には加入を諦めてしまう方もいるのが現実です。
そこで私がプロとして、個々の血友病患者様にとって本当に必要な保険を案内して差し上げているのです。
ーそれは心強いと思います。
他にも仕事とは関係なく、血友病患者としての自分のこれまでの経験を伝えるために、病院などでレクチャーの機会をもらってお話しさせてもらっています。血友病患者の中にも重症度の違いがあるのでなんともいえませんが、少なくとも自分はこれまでやりたいことをやって納得のいく人生を送ってきたので、自分の経験を広く伝える活動はこれからもどんどんやっていきたいですね。
血友病だからとか制限をかけずに好きなことをやってほしい
ー最後に、血友病患者のお子さんを持つ親御さんにメッセージをお願いできたらと思います。
とにかく本人がやりたいことをやらせてあげてほしいと思います。同じ血友病患者でも人によって症状が違うので何ともいえませんが、血友病だからといって制限をかけずに、運動でも文化的なことでもどんどん挑戦させて欲しいですね。
親御さんにとっては心配の方が多いかもしれませんが、痛みや内出血などもやってみないとわからないこともあるので、まずはやりたいことを尊重して、お子様を信じて見守っていただければと思います。
自分は29年間血友病と付き合っていますし、部活動などで無理なこともしてきたと思いますが、今自分は健康ですし後悔のない人生を送っています。
勇気のいることかもしれませんが、血友病だからといって制限をかけずに何ごとも一回はやらせてみるといいのではないでしょうか。